琉球大学医学部附属病院 歯科口腔外科 は沖縄県内唯一の日本口腔外科学会認定研修施設です。

ラオス2016年度オペレーション参加研修医による活動報告

「ラオスチャリティオペレーションに参加して」
琉球大学医学部附属病院歯科口腔外科研修医
別府加奈子
 
Macintosh HD:Users:beppukanako:Desktop:IMG_0925.jpg私は5月に西原先生からラオスでのチャリティオペレーションに参加できることを教えていただくまで、ラオスという国についてほとんど前知識を持っていませんでした。チャリティオペレーションの存在を知り、もともと口唇口蓋裂に興味のあった私は二つ返事で参加を志願させていただきました。それから半年間の病棟業務・3か月間の外来診療を経験し、12月16日から12月22日までラオスでのプロジェクトに参加させていただきました。
 12月16日はとても寒い日で、那覇空港から福岡空港を経由した際に久しぶりの内地の冷気を感じ、早朝集合で眠い目を擦りながら降り立ったにも関わらず目が覚めました。福岡空港からバンコク経由でヴェンチャンに到着したのは夜遅くになってからでした。空港からホテルまで初めて見るラオスの街並みに目を奪われ、次の日からのプロジェクトに緊張と期待とが混じり合った複雑な気持ちでその日を終えました。
Macintosh HD:Users:beppukanako:Desktop:IMG_1056.jpg12月17日は、朝からセタティラート病院で手術の準備をし、午後からは2件の手術を行いました。朝病院に到着して歯科外来に案内された際にとてもたくさんの子供達とそのご家族たちが集まっており、本当にラオス全土から患者さんが来ているんだということを実感しました。手術の準備は部屋の掃除から始まり、日本から持参した物品の配置、麻酔器の準備などを1から始めることになりました。現地の看護師さん、麻酔科の先生とコミュニケーションをとる際に、英語がそもそも喋ることができない私は本当に苦労しました。幸いなことに一緒にラオスに行った手術室看護師の上原さんは英語が堪能だったため、ほとんど上原さんに通訳を頼んでいました。英語が話せないスタッフの方も多かったのでボディランゲージでなんとかコミュニケーションをとるという形でした。
12月18日は午前中に2件、午後に2件の手術を行いました。この日の昼食後、何故か突然の胃痛と悪寒に襲われ、特に風邪症状などなかった私はそのまま1日過ごしました。明らかに状況が変わってきたのは最後の4件目の手術中でした。食事を摂ってからずいぶん経つというのに吐き気と異常な倦怠感を感じ、その日は先生方との夕食を抜けさせていただき部屋で休ませていただきました。深夜から朝方にかけ高熱と吐き気で一睡もできず、翌日19日の手術に参加せず部屋で1日休むこととなり、大事なプロジェクト中に体調を崩すという医療人にあるまじきことをしてしまいました。ご迷惑をおかけした先生方、大変申し訳ありませんでした。
12月20日にはだいぶ体調も戻り、手術に参加しました。砂川先生・西原先生・後藤先生のアシスタントをさせていただき、いつも以上に近くで手術を見学することができるだけでなく、どのようにアシスタントをすればいいのか大変丁寧にご指導いただきました。
 ラオス最終日である21日は朝から手術室の片付け、寄付する機材の整理、術後診察を行いました。術後診察では患者さんやその家族がこぞって先生方と写真を撮りたがっており、言葉は通じなくても患者さんたちは先生方にとても感謝していることを感じました。私は直接手術していなくても、そんな先生方と患者さんを見ていて、この9か月間歯科医師として研修を始め、患者さんに「良くなったよ。ありがとう」と言ってもらえる時が最も嬉しい瞬間であること、あと3か月自分にできることを全力で頑張ることを改めて決意しました。
術後診察が終わった後は現地のスタッフの方々がバーシーという儀式をしてくださいました。スタッフの皆さんは私たちの健康と安全を祈り、私たちの腕に白い糸を巻いてお祈りしてくださいました。1週間、言葉がなかなか通じないながらも一緒に仕事をした看護師さんたちや口腔外科の大勢のスタッフの皆さんに糸を巻いてもらい、無事に日本にたどり着けるように、来年また元気で会えるようにと言葉をかけてもらいました。セタティラート病院に別れを告げ、私たちはラオス最終日に観光をしました。それまで数日間は手術、手術でなかなかラオスの街並みや観光地に行くことができなかったため、先生方との観光をとても楽しむことができました。
今回のプロジェクトでラオスの医療の充実のためにはまだまだ設備的な問題や金銭的な問題が存在することを知りました。しかし一方でラオスと日本では医療設備や環境は大きく違っても、手術後の子供達の笑顔と家族の子供を大事に思う気持ちは変わらないということを実感しました。これから歯科医師として様々な患者さんと出会い、たくさんの経験をすると思います。その中で研修医の時にラオスでチャリティオペレーションに参加させていただいた今の気持ちを忘れず、精進していきたいと思います。
Macintosh HD:Users:beppukanako:Desktop:IMG_1541.jpg 最後になりましたが、このような機会を設けてくださった新崎教授、私たち研修医をプロジェクトに同行させて下さった新崎教授、、西原先生、後藤先生、麻酔科の植村先生、同室で1週間たくさん色々な経験を一緒にした看護師の上原さん、1週間外来診療を空けることになりご迷惑をおかけするにもかかわらず快くラオスに送り出して下さった指導医の仁村先生、ご迷惑をおかけした諸先生方本当に有難う御座いました。






















「ラオスチャリティオペレーションに参加して」
琉球大学医学部附属病院歯科口腔外科研修医
中村 元
 
 私は、平成28年4月から琉球大学医学部付属病院歯科口腔外科で歯科医師臨床研修を行っています。毎年、琉球大学歯科口腔外科はラオス国に医療支援を行い、口唇口蓋裂患者のチャリティーオペレーションを実施しています。今回、私は歯科医師臨床研修の一環として、このチャリティーオペレーションに参加させていただきました。新聞や雑誌、テレビなどで海外、発展途上国の医療支援などの話が取り上げられていますが、百聞は一見に如かず、驚きの連続でした。
今回の往路は、2016年12月16日那覇空港出発→福岡空港→バンコク空港(タイ国)→ビエンチャン空港(ラオス国)到着の経路で、復路は2016年12月22日ビエンチャン空港→バンコク空港→福岡空港→那覇空港到着といったスケジュールでした。
12月16日午前4:30に起床し、研修生活で初めての沖縄の冬の早朝に、同様にチャリティーオペレーションに参加する研修医の別府先生と那覇空港に向かいました。那覇空港は午前6:00に開港されますが、20分ほど前に着いてしまった私達は、ラオスの気候を予想した服装をしてきてしまったために早朝の海風にさらされ、沖縄の冬を服装の後悔と共に体感していました。開港と同時に空港に入り、出発メンバーと荷物の個数の最終確認を行った後に荷物を預け、搭乗ゲートへ向かいました。福岡空港では国際線乗り換えのために一旦空港の外に出てバスの移動区間があり、そのことを知らなかった、私達研修医2人は、またもや服装を後悔する羽目になりました。到着時の福岡県の外気温は6度でした。
 バンコク到着後、ビエンチャン便の出発までに2時間程あったため、後藤先生や歯科麻酔医の植村先生達と昼食を取りました。私を含め、タイ料理を食べたのですが、副隊長の後藤先生は依然に苦い経験があるらしくサンドイッチを食べながら、「本当に食事は気を付けたほうがいいよ、安全が第一」と漏らしていました。誰もがその時はその言葉を笑いながら、和気あいあいとスプーンを進めていましたが、後ほど後悔することになるとは思っていませんでした。ビエンチャン空港に到着し、入国審査場へ向うと、私達の飛行機の席が後方だったこともあり、ほぼ列の最後尾に並ぶことになりました。ここでは、税関職員が渡航者と笑顔で話をする時間が長いように感じられ、幸い私も笑顔で対応され並んだ時間の半分ほどは緩和された気になりました。ホテルに着いたのは10:30頃だったため、ラオスビールを西原先生と一緒にコンビニで買って、部屋で飲みながら翌日の術前診査や準備などの事を考えながらドキドキしながら就寝しました。
12月17日、朝8:00にセタティラート病院に出発しました。道中はまだまだ舗装されていない道路や、舗装が完了している道路を乗り継ぎ、周りに屋台や民家が連なり砂埃の立ち込める中、車は病院に向けて進んでいきました。病院に到着すると、病院の入り口辺りにシーサーの像が建てられていることが、すぐに目につきました。私はこの2体のシーサーの像が、琉球大学とセタティラート病院との友好関係を強く表しているように感じられました。
病院に入り、手術室準備隊と術前診査隊とに分かれました。私は術前診査に同行したため、患者さん達が待つ診察室へ向かいました。すると、話には聞いてはいたものの、患者さんの多さに驚きました。患者さん達の間を抜けながら診察室に入り、術前検査が始まりました。手術患者を整理するために、控用紙に名前・体重・体温・血圧・SPO₂を測定して記載し、写真撮影の手伝いをしました。ここでも、言葉が通じるスタッフが少ないにもかかわらず、術前検査が滞りなく行えたことに、このチャリティーオペレーションの歴史を感じることが出来ました。集まった患者さんは多かったのですが、発熱、感冒症状のため手術困難な患者さんに加えて、日本の様な設備が整った施設では手術も可能であろう症例であっても、ラオスでは金銭的な理由も加わり精密な検査が困難なために手術を行うことが出来ない患者さんも見られました。この事で、どれほど自分たちが恵まれた医療政策・医療設備のある国に住んでいるのかということを再確認しました。そういった状況でも患者数が多かったため、午後から手術が開始されました。限られた設備や器材の中、節約しながら、手術は1人1人進んできました。私は、通訳さんと研究の同意書の取得や、採血、手術アシスタント、術中写真撮影、術後薬剤の配薬、患者写真整理など、西原先生や後藤先生の指示のもと忙しく活動しました。中でも、一番驚いたのは配薬時に朝昼夕などの英単語が通じなかったことでした。絵などを描いて説明しようとしたのですが、本当に伝わっているのかも分からないため、現地で英語の通じるスタッフを探して私の拙い英語で説明し、患者さんに配薬しました。ここでも、スタッフさんの対応がスムーズで、このチャリティーオペレーションの歴史を感じました。
このチャリティーオペレーションの最大の意義が感じられたのは、患者さんが手術室から返ってきたとき、涙を流しながらお子さんを抱きかかえ名前を呼び続けるご家族や、「コプチャライライ、コプチャライライ」と感謝を述べる患者さんばかりで、この支援によって救われているのは患者さんだけにはとどまらず家族も一緒に救っているのだと感じました。
12月17日から20日までの手術を終えて、21日の最終日は、術後診察や片付けを行ったのち、病院スタッフの皆様にバーシー・スー・クワンという暖かい歓迎の儀式を開いていただきました。祭壇をみんなで囲み、祭壇から垂らされた糸をつかみ合い、届かない場合は糸を持った人の体に触れ、祈りを聞いた後、スタフの方々が祈りを込めながら次々に糸を腕に結んで下さいました。この儀式は、事あるごとに人の魂は体から離れるためそれをお祈りと共に戻し健康幸せなどを祈る儀式の様です。その後、ラオスの伝統料理がふるまわれ、私は気に入ったため、持って帰りたいぐらいだとお伝えすると、「この食事は持って帰ることはできないけど、この子なら持って帰っていいよ」と、いったような冗談も飛び込みながら和やかな時間を楽しませていただきました。ただし、今後ラオスへ行かれる方は食事には、注意しておくに越したことはないことは確かです、別府先生はその事を痛感したことでしょう。「本当に食事は気を付けたほうがいいよ、安全が第一」が、今も心に残っていると思います。
那覇空港に到着して改めて、今回のチャリティーオペレーションを振り返り、国は違えども家族に対する思いや愛情は変わらないことを再度実感し、患者さんに少しでも良い治療をしたいという思いは、国境がないと実感しました。もし、また機会がいただけるのであれば、是非訪れたいと思いました。
研修1年目にしてこのような、今後の人生においてもまず経験できないであろう壮大なミッションに参加させていただきましたことを、新崎教授、西原准教授、後藤助教、始め医局の諸先生方や携ってくださったスタッフ皆様に心から感謝を申し上げます。この度は誠にありがとうございました。

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